コメント貰ったので、この話、掘り下げてみたらおもしろい気がします。

まず、あったなぁと言うのが、都知事の話。

こんなこと言っても、ノウノウと都知事ができるのだから、ある意味すごいとは思う。
大臣がこんなこと言ったら、辞任か更迭以外の道はないね。
これが、制度のせいでもあるが、今の日本。

まぁ、それはそれとして、この過激な発言、都知事としてはあり得ないですが、科学者としては、アリだと思う。

雌雄問わず、生物として、生殖機能が低下または停止した場合、存在価値が激減するのは、否定のしようがないと思う。

生物がつなぐべきものは、遺伝子であって、いかなる理由があるにせよ、この鎖をぶった切ることは、悪であると思う。
逆に言うと、この遺伝子の鎖をつなぐことのできない生物の存在価値は、低いのは当たり前だと思う。

ただ、遺伝子の鎖をつなぐ行為は、生殖だけなのか?と言う話になると、それは、疑問符がつくことは間違いのないことであると思う。

例えば、他の生物の遺伝子をつなぐ行為をサポートすることなんか、あてはまると思う。

となってくると、生殖機能が低下または停止した場合の存在価値はどうなるのかと言う話。

女性の老後の存在価値に関して、環境評論家の武田先生はこう言う。
「自分の孫の面倒をみるため」

どうしてこのような研究結果がでるのかわかりませんが、世のお母さん方のサポートをするという意味にとれば、合点はいく。

だとすれば、男性はどうなるのかと言う話だが、まぁ、それは置いておこう。

で、結局のところ、次の世代に遺伝子以外のモノをつなぐのが、男女問わずの、老後の在り方だと思う。これは、万物創世記の受け売り。

で、一つ否定しておきたいのは、やはり、人は適材適所だと思うと言うこと。
例えば、生殖機能が低下した状態で、生殖活動を行うと言うことは、それは、効率が悪いと言う話。
効率が悪いと言うことは、スマートではないと言うことで、そこは、引き際を見極め、次の世代に任せて、自分は身を引くというのが、スマートなやり方だと思う。
いつまでも、そこに居座ることは、やはり見苦しいと思う。

特に、人間の場合は、生理的早産と言って、最悪でも出世以後1年ほどは、親は子どもの面倒を見なくてはいけない。
それでやっと、他の動物と同じ土俵に立てるわけです。

ただ、これは生物学的な話であって、現代社会においては、最低でも15年、できれば20年は面倒をみるべき。
人生80年として逆算し、それができないような生殖活動は、どう考えてもスマートではない。
そう考えてくると、50歳という数字には現実味が出てくる。

また、労働力としてとらえても一緒。
結局、50歳過ぎて、若者と一緒に、同じように働いていたら、やはり、スマートではない。むしろ、体力的なことを考えると、若者の方が良いだろう。
そうなってくると、池田先生も仰っていたが、そこは、一緒に働きながらも、後輩の指導をしなければいけない。
一線から身を引き若い者に次を任すと言うのがスマートだと思う。

ただ、スマートでないことが悪だとは思わないし、無駄こそが人生とも思っているので、そこは勘違いしないでいただきたい。

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