ふらっと、見てきました。

まぁまぁ、面白かったかなと思いました。

過去2作がイマイチだったので、まぁ、合格点は出そう。
でも、子どもたちが、劇場内で運動会を開いていたぞ。子どもには、評判悪いのかな?

ゲノセクトとミュウツーの似た境遇を重ね合わせ、その2種のバトルを主に描き、まとまっていたと思う。

サトシ御一行が出しゃばらず、ミュウツーとゲノセクトに主役を譲っていたのも良かったですね。

ただ、ミュウツー覚醒の意味がわからない。

ミュウツー覚醒への序章も意味不明でしたけどね。
ポケモン映画の意味不明なところは、内容と題名が一致していないところですね。

亡くなられた初代ポケモン映画の脚本家・首藤さん曰く、御前様という人がいて、その人が、「そっちの方がカッコいい」というだけの理由で、意味不明な要求して、強引に変更させるらしい。

ルギア爆誕は、そんな感じだったらしい。どう考えても、爆誕は内容にそぐわない。

今回も、覚醒ってカッコいいとか言って、脚本家や監督の意向を無視して、強引に変更したに違いない。

今回の内容のどこに覚醒の要素があるんだ?

それと、ミュウツーを「ミュウツーの逆襲」と別個体にした意味がわからない。
15年のブランクがあるので、下手につなげるよりかは、ある意味で良いのかもしれません。ミュウツーの逆襲も見て、ミュウツー我はここに在りも見た人で、今回のミュウツー覚醒も見に行く人は少ないでしょうからね。

でも、せっかくの15年の歴史を使わない手はないと思うんですよね。

ミュウツーの逆襲はTVで放送しているし、ミュウツー我はここに在りもTVで再放送しておけば良いだけの話ですからね。

せっかく、アニメのエンディングでカスミやタケシを出しているんですから、その辺も周知に使えただろうし、デコトラ諸島編だったら、カスミとタケシをゲスト出演させれるだろうしね。

今回は、あまりメディアミックスが出来てなかった気がします。

だいたい、設定として、ミュウツーが複数個体いること自体が、不自然ですからね。

同一個体としておけば、その辺の矛盾もなくなるし、今回の本編で、ミュウツーの過去を描く必要がなくなります。

ミュウツーが自分のアイデンティティーを見つける過程は、ミュウツーの逆襲とミュウツー我はここに在りで、十分描かれていますからね。
あんな中途半端な過去よりも、よっぽど良いと思います。

それに、ちょうどいいことに、ミュウツー我はここに在りのラストシーンの大都会が15年の時を経て、明らかに!!なんてことになりますし。

サトシは記憶を失っているから、初対面の対応をするでしょうが、ミュウツーがサトシと接触する動機づけにも使えます。
今回の内容として、サトシとミュウツー接点が弱すぎます。
まぁ、弱いからこそ、サトシが1歩引いて良い感じになっているのかもしれませんが・・・

まぁ、結局のところ、ミュウツーの逆襲の続編的な内容なのに、関係性を断ち切ってしまい、中途半端な内容になっているんだと思いますね。
おそらく、プロットの段階では、同じ個体だったんだと思う。だからこそ、舞台を大都会にしたんだろうし。デコトラ諸島に、あの大都会は不自然だ。
これも御前様のトンチンカンな我儘でしょうか?

そして、覚醒の要素はまるでなしと。
覚醒については、XYをお楽しみにと言ったところか?
だったら、覚醒を題名に入れるなよと。
それだけですね。

なんか色々書きましたが、それだけ良かったという事でしょう。
寝不足でしたが、寝なかったし。

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