いじめられる方にも責任がある
2015年7月30日 時事ニュースこれは、岩手の話ではありません。
ごく一般的な話です。
http://bylines.news.yahoo.co.jp/kataokahidehiko/20150728-00047950/
http://blog.livedoor.jp/hasegawa_yutaka/archives/44904588.html
こんな2つの記事を見つけた。
まず、今のマスメディアの関係者で、これだけのこと書ける人間がいるとは、正直、感心した。長谷川豊さんスゴイ。
こういう言葉を、しっかり、電波に乗せて欲しいと思った。
今のいじめの定義は、本人がいじめだと言い張ったら、全ていじめです。
これが、今の法律です。
まぁ、ハッキリ言って、悪法だと思います。
長谷川豊さんも書いていることにも関係してくるが、子どもたちは、友達を選んではいけないのか?
ハッキリ言って、友達は選ぶべきです。
会話する人間も選ぶべきです。
学校と言う閉鎖空間ならば、関係ないかもしれないが、1歩、学校の外に出たら、そうは言ってられない。
不良と関係を持つだけで、自分の評価が下がるのが現実。
もっと言えば、ヤクザと関わりを持つだけで、将来に傷がつく。
島田紳助が良い例だ。
当たり前だが、学校には、ヤクザの子どももいる。
でも、今の状態では、子どもたちは友達を選ぶ権利をはく奪されている。
小学生なら、それでも良いかもしれないが、中学生には、人生を左右される高校入試がある。
中学校3年間の友達選びは、人生にとって、大きな分岐点になる。
次に、今の教育現場に何を求める?
ハッキリ言って、何も求められない。
今の状態では、何か問題があったとしても、言って聞かせることしかできない。
今の中学生、聞くわけがない。
聞かなくても、それ以上のことをできないのが現状だ。
あれもダメ、これもダメ。これが現状だ。
学校には、懲戒権があるが、そんな中学生に有効な懲戒方法は、存在しない。
出席停止にすることはできるが、出席停止にしたところで、その生徒が無視して学校来ても、それ以上の対処は皆無だ。
昔は、体を痛めつけていたが、それは、禁止されている。
禁止されていても、昔は、やっていたわけだ。それしか方法がないから。
だから、警察の介入は、必要不可欠の時代がやってきている。
しかし、警察を介入させると、「生徒を売るのか?」と批判される。
そして、もちろん、学校側にも親心はある。
なんとか学校自体も我慢したいし、他の生徒たちにも我慢してもらいたい。
その結果が、今の状態だ。
ハッキリ言って、学校は八方ふさがりだ。あちらを立てれば、こちらが立たず。
だったら、法律にのっとって処理するしかない。
つまり、警察の介入だ。
したがって、学校は、他の生徒を守るために、警察を介入させるべき時代が来たということだ。
その点を理解し、対処しなければいけない。
警察を介入さすべきだったと言う意見は、決して、後出しじゃんけんではなく、反省点なのだ。今後の対応として、反省すべき内容なのだ。
もう1つの記事、片岡英彦は、批判する前に、もっと、今の学校現場と法律について、取材をして記事を書くべきだ。
少なくとも、長谷川豊さんのほうが、内容は如何として、取材をしている感じは伝わってくる。
この片岡英彦の記事が載っているサイトは、どうも、全体的に程度が低い感じがする。これはあくまで、個人的に感じたことですので。
そして、これは、ある側面からだけ見たものなので、必ずしも、全ての事例に当てはまるわけではないことを理解してください。
ごく一般的な話です。
http://bylines.news.yahoo.co.jp/kataokahidehiko/20150728-00047950/
http://blog.livedoor.jp/hasegawa_yutaka/archives/44904588.html
こんな2つの記事を見つけた。
まず、今のマスメディアの関係者で、これだけのこと書ける人間がいるとは、正直、感心した。長谷川豊さんスゴイ。
こういう言葉を、しっかり、電波に乗せて欲しいと思った。
今のいじめの定義は、本人がいじめだと言い張ったら、全ていじめです。
これが、今の法律です。
まぁ、ハッキリ言って、悪法だと思います。
長谷川豊さんも書いていることにも関係してくるが、子どもたちは、友達を選んではいけないのか?
ハッキリ言って、友達は選ぶべきです。
会話する人間も選ぶべきです。
学校と言う閉鎖空間ならば、関係ないかもしれないが、1歩、学校の外に出たら、そうは言ってられない。
不良と関係を持つだけで、自分の評価が下がるのが現実。
もっと言えば、ヤクザと関わりを持つだけで、将来に傷がつく。
島田紳助が良い例だ。
当たり前だが、学校には、ヤクザの子どももいる。
でも、今の状態では、子どもたちは友達を選ぶ権利をはく奪されている。
小学生なら、それでも良いかもしれないが、中学生には、人生を左右される高校入試がある。
中学校3年間の友達選びは、人生にとって、大きな分岐点になる。
次に、今の教育現場に何を求める?
ハッキリ言って、何も求められない。
今の状態では、何か問題があったとしても、言って聞かせることしかできない。
今の中学生、聞くわけがない。
聞かなくても、それ以上のことをできないのが現状だ。
あれもダメ、これもダメ。これが現状だ。
学校には、懲戒権があるが、そんな中学生に有効な懲戒方法は、存在しない。
出席停止にすることはできるが、出席停止にしたところで、その生徒が無視して学校来ても、それ以上の対処は皆無だ。
昔は、体を痛めつけていたが、それは、禁止されている。
禁止されていても、昔は、やっていたわけだ。それしか方法がないから。
だから、警察の介入は、必要不可欠の時代がやってきている。
しかし、警察を介入させると、「生徒を売るのか?」と批判される。
そして、もちろん、学校側にも親心はある。
なんとか学校自体も我慢したいし、他の生徒たちにも我慢してもらいたい。
その結果が、今の状態だ。
ハッキリ言って、学校は八方ふさがりだ。あちらを立てれば、こちらが立たず。
だったら、法律にのっとって処理するしかない。
つまり、警察の介入だ。
したがって、学校は、他の生徒を守るために、警察を介入させるべき時代が来たということだ。
その点を理解し、対処しなければいけない。
警察を介入さすべきだったと言う意見は、決して、後出しじゃんけんではなく、反省点なのだ。今後の対応として、反省すべき内容なのだ。
もう1つの記事、片岡英彦は、批判する前に、もっと、今の学校現場と法律について、取材をして記事を書くべきだ。
少なくとも、長谷川豊さんのほうが、内容は如何として、取材をしている感じは伝わってくる。
この片岡英彦の記事が載っているサイトは、どうも、全体的に程度が低い感じがする。これはあくまで、個人的に感じたことですので。
そして、これは、ある側面からだけ見たものなので、必ずしも、全ての事例に当てはまるわけではないことを理解してください。
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