フランスの公共放送「フランス2」で、リオ五輪の解説者が体操女子の日本代表チームを「小さなピカチュウ」と呼んだことが「人種差別的ではないか」と、フランス国内で波紋を呼んでいる。AFP通信などが報じた。

問題の発言をしたのは、2008年北京五輪の銀メダリストで、体操種目の解説者を務めるトマ・ブエル氏。フランスの週刊誌「VSD」のオンライン版によると、8月9日(現地時間)、日本代表が4位入賞した体操女子団体の決勝で、内山由綺が演技を終えて、同僚の選手たちと抱き合って喜んだシーンで次のように言ったという。
「まるでマンガ漫画のキャラクターみたいです。みんな大喜びしています。アニメみたいな満面の笑みで、小さなピカチュウでいっぱいです。」
(以下略)
http://www.huffingtonpost.jp/2016/08/10/little-pikachu_n_11420586.html

何が問題なの?と思う人は、少なくないはず。
実際、ピンとこない人が多いというのが、反響のよう。

日本人としては、外国人に、日本の女の子をピカチュウに例えてもらえるなんて、どちらかと言えば光栄な気がします。

ピカチュウは、日本を代表するキャラクターですから、
そこに触れてもらえることもうれしいですし、ピカチュウは可愛いので、女の子の比喩としては、悪くないと思います。
ご時世として、PokemonGOのヒットもありますからね。

と言っても、これは男の意見ですから、実際、ピカチュウに例えられると女性がどう思うのかは、よくわかりませんが。
でも、悪い気はしないと思いますが・・・

しかし、これが、差別発言として問題視されるのですから、驚きです。

この発言の日本人的ロジックは、
日本と言えば、ポケモン。ポケモンと言えば、ピカチュウ

となると思うのですが、

フランス人的ロジックは、
日本人といえば、黄色人種。黄色人種といえば、黄色。黄色と言えばピカチュウ

となるらしい。

この人が、どういう発想でこういうことを言ったのか知りませんが、
本人に悪意がなかった場合、この発言が差別発言であると感じると言うことは、
そう感じた人が差別意識を持っていると言うことです。

でなければ、この発言に対して、差別発言であるとに気が付くはずがないと思います。

「ピカチュウ→ポケモン→日本」とか、「ピカチュウ→可愛い(大人気」ではなく、
「黄色→黄色人種→差別」というロジックが出来上がっているということですから。

これは、日常でも同じで、これはまずいだろうという言葉も、
そこに気が付くと言うことは、それに気が付く感覚(ロジック)を持っていると言うことなんだろうと思います。
仮に発言者にそのつもりがない場合、そんなことに気が付くということは、そういうことなんだと思います。

想像力がないだけと言うかもしれませんが、本当にそうなんでしょうか?

政治家の問題発言に気が付くと言うことは、そういう感覚(ロジック)を持っていると言うことですな。マスコミさん。

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